文大統領の演説の全文和訳はこちらです↓
尊敬する国民の皆さん、
独立有功者とご遺族の皆さん、
海外同胞の皆さん。
光復75周年を迎えた今日、自らのすべてを捧げて国の独立を成し遂げた先烈たちの尊い犠牲と精神に改めて思いを馳せます。
今日の慶祝式は、生存されている愛国志士の方々をお迎えすることで始まりました。
イム・オチョル志士は101歳で、他の3人も100歳に近い方々です。
どんな優遇をしても、お一人お一人が作ってきた大韓民国の誇らしい発展と矜持には及ばないことでしょう。
今、私たちのそばに生存している愛国志士は31名に過ぎません。
あまりにも貴重な歩みをしてくださったイム・オチョル、キム・ヨングァン、イ・ヨンス、チャン・ビョンハ愛国志士に、深い敬意と感謝を込めた力強い拍手をお願いいたします。
私たちの光復は、一人一人が民主共和国の主人として立ち上がり、共に成し遂げたものです。
自らの人生の主人公として大小の成果を成し遂げたすべての方々が、今日を生きる私たちのルーツとなりました。
先烈たちは “一緒に協力すればどんな危機も乗り越えられる” という信念を “巨大な歴史の根” として私たちに残してくれ、私たちはコロナを克服する過程においても、共に危機を乗り越え、私たち自身の能力を再確認することができました。
今、異常気象による巨大な自然災害が、再び私たちの日常を脅かしています。
しかし私たちは、これにも必ず打ち勝つでしょう。
大切な命を失った方々をはじめ、災害により被害を受けたすべての方々に深い慰めの言葉を申し上げるとともに、国民の生命と財産を守るために最後まで災害に立ち向かい、復旧に全力を尽くします。
また、異常気象が今後さらに激しくなることにも備え、繰り返される痛みを嘗めることのないよう、国民の安全に全力を尽くします。
大韓民国の誇りになってくださった独立有功者とご遺族の皆様に敬意を表しつつ、今日の危機と災害を必ず国民と共に乗り越えていくことをお約束いたします。
国民の皆さん。
今日、私たちが集まった東大門デザインプラザは、朝鮮時代の訓練都監と訓練院の跡地です。
日本の植民地時代には京城運動場、解放後にはソウル運動場に変わり、長きにわたって東大門運動場という名の下に数多くの汗の歴史を見つめてきた場所です。
その中でも、植民地朝鮮の青年・孫基禎(ソン・キジョン)が流した汗こそ、最も熱いながらも切ない汗として記憶されることでしょう。
1935年、京城運動場の1万メートル競技で1位になった孫基禎は、翌年、ベルリンオリンピックのマラソン競技で世界新記録を出して優勝しました。
日本の国歌が演奏された瞬間、金メダリスト・孫基禎は、月桂樹の枝で胸の日の丸を隠し、銅メダルを獲得したナム・スンリョンは、うつむいて目を閉じました。
民族の自尊心を高めた偉大な勝利でしたが、勝利の栄光を捧げる国がありませんでした。
私たちの独立運動は国を取り戻すことであり、同時に一人一人の尊厳を守るプロセスでした。
私たちは、独立と、主権在民の民主共和国を樹立する革命を、同時に成し遂げました。
二度と誰にも負けない、堂々とした国を作ろうとするわが国民の努力は、光復の後にも続きました。
私たちは、援助を受ける最も貧しい国から世界10位圏の経済大国となり、独裁に立ち向かい、世界における民主主義の一里塚を築きました。
国の名の下に個人の犠牲を求め、人権を抑圧していた時代もありましたが、私たちは、自由と平等、尊厳と安全が国民一人一人の当然の権利となる、‘国らしい国’ に向かう歩みをやめませんでした。
わが国民は、多くの危機を乗り越えてきました。
戦争の惨禍に打ち勝ち、通貨危機と金融危機を克服しました。
日本の輸出規制という危機も、国民と共に乗り越えました。
むしろ ‘誰も揺るがせない国’ へと飛躍するチャンスに変えました。
大企業と中小企業の共存協力で ‘素材・部品・装置の独立’ を成し遂げ、一部の品目では海外投資を誘致する成果まで挙げました。
コロナ危機もまた、国と個人、医療スタッフ、企業が互いに信頼し、支え合いながら克服してきました。
政府は、防疫に必要なすべての情報を透明に公開し、国民は、政府の方針を信頼して自ら防疫の主体になりました。
企業は、世界ではじめて迅速かつ正確な診断試薬を開発し、労働者は、隣人を真っ先に考えながら防疫物品を生産しました。
医療スタッフとボランティア、国民と企業、一つ一つの努力の集積がコロナを克服する力になり、全世界が認める模範となりました。
しかし未だに、さらに高度の緊張が持続的に求められている状況です。
政府は、ワクチンの確保と治療薬の早期開発をはじめ、ウイルスから国民の安全が守られるまで、最後まで全力を尽くします。
国境と地域を封鎖せず、経済を停止せずに成し遂げた防疫の成功は、経済の善戦につながりました。
防疫の成功があったがゆえに、政府の拡張財政による迅速な景気対策も効を奏しました。
世界的な経済危機の中でも、韓国経済は今年、OECD37カ国の中で成長率1位を記録し、GDPの規模でも世界10位圏内に進入すると予想されています。
多くの苦痛を嘗めながらも危機をチャンスに変えているわが国民に、改めて尊敬と感謝の意を表さずにはいられません。
今、私たちは、‘隣人’ の安全が ‘私’ の安全であることを確認し、ポストコロナ時代に備えています。
私たちは、‘韓国版ニューディール’ を力強く実行し、デジタルニューディールとグリーンニューディールを両翼にわが国経済の体質を革新し、その格を高めていくでしょう。
追撃型経済から先導型経済へ、炭素依存経済から低炭素経済へと大韓民国を根本的に変え、もう一度飛躍するでしょう。
‘韓国版ニューディール’ の中心を貫く精神は、やはり人間中心の ‘共生’ です。
‘韓国版ニューディール’ は ‘共生’ のための新しい社会契約であり、‘雇用・社会セーフティネット’ をさらに強化し、‘人’ への投資を増やし、繁栄と共生を同時に実現するという約束です。
何よりも重要なのは、格差と不公平を縮小していくことです。
すべての人が共に良い暮らしをしてこそ、真の光復と言えます。
私たちと未来世代双方のための持続可能な発展の道に、国民の皆さんが同伴してくださることを信じます。
国民の皆さん。
2016年の冬、全国各地の広場や街を埋め尽くしたのは、‘大韓民国のすべての権力は国民から発生する’ という、憲法第1条の精神でした。
世の中を変える力は常に国民にあるという事実を、ろうそくを持って再び歴史に刻み込みました。
その精神が、わが政府の基盤になりました。
私は今日、75周年の光復節を迎え、果たして一人一人にも光復が成し遂げられたのかを振り返り、個人が国のために存在するのではなく、個人の人間らしい暮らしを保障するために存在する国について考えます。
それは、すべての国民が人間としての尊厳と価値を持ち、幸福を追求する権利を有する、憲法第10条の時代です。わが政府が実現しようとする目標です。
政府はこれまで、自由と平等の実質的な基礎をしっかりと固め、社会的セーフティネットと安全な日常によって一人一人が個性と能力を存分に発揮し、一人の達成を共に尊重する国を作るために努力してきました。
決してわが政府内ですべてが達成できる課題とは思っていません。
しかし、私たちの社会がその方向に向かいつつあるという信念を国民に示し、今後とも確実な基盤を構築するために最善を尽くします。
私たちは、大韓帝国時代にハワイ、メキシコへの労働移民として国を離れ、祖国を失い、戻って来れなかった同胞を記憶しています。
その涙ぐましい歴史を、決して忘れてはなりません。
祖国は同胞を守れませんでしたが、その方々はむしろ、労賃を集め、‘一さじずつの米‘ を集めて、臨時政府に独立運動の資金を支援し、海外独立運動の根になってくれました。
私たちは、解放された祖国と家族のもとについに戻って来れなかった同胞たちも、最後まで記憶しなければなりません。
国が国民になすべき役割を果たしたのか、今は果たしているのか、私たちは問わなければなりません。
大韓民国はもう、ただ一人の国民も放棄しないでしょう。
それだけ成長し、それだけ自信を持っています。
2018年4月30日、ガーナ海域で拉致されたわが国の船員3名が、救出作戦を遂行した清海部隊の文武大王艦とともに祖国に帰ってきました。
2018年7月には、リビアの武装怪漢らに拉致されたわが国民が、2020年7月には、西アフリカのベナン海域で拉致された船員5名が無事に救出されました。
コロナ禍にあっても軍用機をイラクに急派し、わが国の労働者293名を国内に連れ帰りました。
コロナ拡散が深刻な7カ国には特別輸送機と軍用機、大統領専用機まで投入して韓国人2千人を国内まで安全に移送し、チャーター機で119カ国、4万6千人にのぼる韓国人を無事に連れ帰りました。
3・1運動と臨時政府樹立100周年を迎えた昨年、海外独立有功者5人の方のご遺骨を故国にお連れしたのも意義深いことでした。
自らの尊厳を証明しようとする個人の努力にも国は必ず応え、解決方法について共に知恵を集めなければならないでしょう。
2005年、4人の強制徴用被害者の方々が日本の徴用企業を相手取り、裁判所に損害賠償訴訟を提起し、2018年に最高裁の勝訴確定判決を受けました。
最高裁は、1965年の日韓請求権協定の有効性を認めながらも、個人の ‘不法行為賠償請求権’ は消滅していないと判断しました。
最高裁の判決は、大韓民国の領土内において最高の法的権威と執行力を有します。
政府は、司法府の判決を尊重し、被害者たちが同意することのできる円満な解決策を日本政府と協議してきており、今も協議の扉を大きく開いています。
韓国政府はいつでも、日本政府と向き合う用意ができています。
一緒に訴訟した3人の方はすでに故人になられ、一人残ったイ・チュンシク翁は、昨年に日本の輸出規制が始まると、「私のために大韓民国が損をしているのではないか」と仰いました。
私たちは、個人の尊厳を守ることが決して国の損害にならないという事実を確認するでしょう。
同時に、三権分立に基づく民主主義、人類の普遍的価値と国際法の原則を守るために、日本と共に努力していくでしょう。
一人の人権を尊重する日本と韓国、共同の努力が、両国国民間の友好と未来協力の架け橋になるだろうことを信じます。
国民の皆さん。
東大門運動場は、解放の歓喜と南北分断の痛みが同時に宿る場所です。
1945年12月19日、‘大韓民国臨時政府凱旋全国歓迎大会’ が開かれ、その日、白凡・金九(キム・グ)先生は「全民族が団結し、自主・平等・幸福の新韓国を建設しよう」と訴えました。
しかし1949年7月5日、100万の弔問客が押し寄せる中、わが国民は再びこの場所で、先生を涙とともに見送らなければなりませんでした。
分断による未完の光復を、統一された朝鮮半島をもって完成しようとした金九先生の夢は、残されたすべての者たちの課題となりました。
真の光復とは、平和で安全な統一された朝鮮半島において一人一人の夢と暮らしが保証されることです。
私たちが平和を追求し、南北協力を推進することも、南北の国民が安全に良い暮らしをするためです。
私たちは、家畜伝染病やコロナに対応し、異常気象による前例のない集中豪雨を経験しながら、個人の健康と安全が互いに緊密に関連していることを自覚し、南北が生命と安全の共同体であることを重ねて確認しています。
朝鮮半島に暮らすすべての人の生命と安全を確保することが、私たちの時代の安全保障であり、かつ平和です。
防疫協力と共有河川の共同管理により、南北の国民が平和の恩恵を実質的に体感できることを希望します。
コロナ時代の新たな安保状況の中で保健医療と森林協力、農業技術や品種開発の共同研究を通じてさらに緊密に協力しながら、平和共同体、経済共同体とともに生命共同体を実現するための共生と平和の扉が開かれることを希望します。
国民の生命と安全のための人道的な協力に併せ、死ぬ前に会いたい人に会い、行きたいところに行けるように協力することが、実質的な南北協力です。
南北協力こそ、南北双方にとって、核や軍事力の依存から抜け出すことのできる最高の安全保障政策です。
南北間の協力が堅固になるほどに南北それぞれの安全保障がそれだけ強固になり、それはすぐさま、国際社会との協力の中で繁栄に進むことのできる力となるでしょう。
‘板門店宣言’ で合意したとおり、戦争の脅威を恒久的に解消し、先烈たちが夢見た真の光復の基盤を準備していきます。
南北が共同調査や着工式まで行った鉄道の連結は、将来の南北協力を大陸へと拡張していく核心的な動力です。
南北がすでに合意した事項を一つ一つ点検し、実践しながら、‘平和と共同繁栄の朝鮮半島’ に向かって進んでいきます。
尊敬する国民の皆さん、
独立有功者とご遺族の皆さん、
海外同胞の皆さん。
国のために犠牲になるとき、記憶してくれるという信頼、災難災害を前にして国が安全を保障してくれるという信頼、異国の地で苦難を嘗めても国が助けてくれるという信頼、一人一人の困難を国が気遣ってくれるという信頼、失敗しても再起する機会が保障されるという信頼。
これらの信頼を通して一人一人は新たなことに挑戦し、困難に耐えています。
国がこのような信頼に応えるとき、国の光復に留まらず、個人にも光復が行き渡ることでしょう。
植民地時代の一人のマラソン選手の汗と恨(ハン)、解放の喜びと分断のため息が共に宿る東大門デザインプラザ、歴史の地層の上にいつも個人の創造性と個性が満開に咲き誇っています。
100年前にはじまった民主共和国の道の向こうにある、個人の自由と平等が満ちあふれる大韓民国を目指し、国民と共に進んでいきます。
先烈たちが夢見た自主独立の国の向こうにある、平和と繁栄の統一された朝鮮半島に向かい、国民と共に進んでいきます。
ありがとうございました。
2020年8月15日
大韓民国大統領 文在寅
出典:青瓦台