2019年10月5日に瑞草洞で行われたろうそく集会の動画です。
動画に登場するチョン・ウヨン博士の発言内容を全訳してご紹介します↓↓
皆さん、他の方々は「こんにちは(安寧ですか?)」と挨拶するが、
私は「安寧ではないでしょう?」と挨拶しなければならない気がする。
私も安寧ではいられない。
昔の人たちは、悪魔が魂を奪っていくと恐れたが、
最近の人々は、検察が魂をはたいていくと恐れる。
昔の悪魔は栄耀栄華ぐらいは約束した。
最近の検察は、魂をはたくために
一家族の一生を家宅捜索する。
何の罪もない人を
証拠を捏造してスパイに仕立て、殺人犯に仕立てながらも
なんの責任もとらない人が
私たちの隣にいる。
気に入らない人を追い出すために
その子供の幼い頃の日記帳までばんばんとはたきながら、
なんの牽制も受けない組織が
私たちの社会にある。
こんな奇怪な人、奇怪な組織を隣に置いて
安寧でいられるだろうか。
多くの人がこう言う。
寝ても覚めても検察注意、
無い罪ももう一度調べよう。
多くの人がまたこう言う。
麻薬を使う子供より
表彰状をもらってくる子供の方がもっと心配になる。
(麻薬を使う子供:麻薬を持ち運んでいながらも仁川空港で即日釈放された、ホン・ジョンオク前ハンナラ党議員の娘を指す。)
この国の主権者であるわれわれが
なぜ罪も無いのに国家機関を恐れながら生きなければならないのか。
われわれがこの国の主人であり
われわれが検察の主人だ。
今年は3.1運動の100周年だ。
100年前、われわれの先祖は
素手で日本の警察の銃剣に立ち向かった。
当時、われわれの先祖は何を信じて
素手で銃剣に立ち向かったのか。
何のために
そうやって命を賭けたのか。
己未(三一)独立宣言の公約3章はこう始まる。
“今日、われわれのこの挙事は
正義、人道、生存、尊栄のための
民族の要求である。“
当時、われわれの先祖は、自分が死んだとしても
正義と人道は生きて勝利すると信じた。
その信念で恐れに打ち勝った。
そしてこの正義と人道の精神は
憲法にそのまま盛り込まれた。
正義と人道を愛し
正義と人道のために生きる民族であることを
われわれの憲法が宣言した。
それがまさにわれわれの約束だ。
われわれは正義と人道が踏みにじられるたびに
立ち上がった。
1960年の4.19革命、1987年の6月民主化運動、
2016年のろうそく革命に至るまで
われわれは素手で催涙弾・水鉄砲に立ち向かって闘い
ついに勝利した。
正義と人道はわれわれの憲法の価値であり、
われわれの民族精神だ。
大韓民国の検事たちよ。
職場が江南にある関係で、仕方なく江南に住みながら、
江南スタイルがどういうものなのかをよく知っているだろう。
これまで、チャン・ジャヨン、キム・ハクウィ、バーニングサン
真の特権層の不正や犯罪に対し
きちんと一度でも捜査したことがあるのか。
ところが、その人のあらを探すために
幼い子供たちが踏んで歩いたすべてのことをばんばんとはたいた。
これが正義に叶ったことなのか。
自分たちの思うままに容疑内容を仕立てあげ、
メディアに流し、
その家族を人質にとり、
侮辱して苦しめている。
これが人道的なことなのか。
検察は大韓民国の憲法精神に背いている。
検察は日本植民地時代から110年間、
ただの一度も改革されなかった。
検察は植民地時代、独裁時代の
あらゆる汚い垢がべっとりこびりついたまま
一度も掃除されていない組織だ。
家の中を掃除するなら雑巾から洗わなければならず
社会を掃除するなら検察から改革しなければならない。
セルフ洗濯する雑巾を見たことがあるか。
雑巾は掃除する人が洗わなければならず
検察は主権者が改革しなければならない。
110年間、あらゆる汚い垢がべっとりこびりついた検察を
今回われわれが一度きれいに洗ってみよう。
検察がきれいでこそ国がきれいになる。
検察が人道的でこそ国が人道的になる。
検察が正義を守ってこそ
この国が正義を守るようになる。
正義を守れない検察、非人道的な検察
国民を脅迫する検察を
われわれの力で正義を守る検察、人道的な検察
国民に愛される検察に変えよう。
そして、罪無くして罪人にならない国
無銭有罪、有銭無罪という言葉が消える国
法の前に万人が平等な国を作り
われわれの子供たちに伝えよう。
われわれにはできる。
検察改革!
チョ・グク守護!