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15日午前、ソウル市龍山区にある国立中央博物館「開かれた広場」にて文在寅大統領が行った第73周年光復節祝辞の内容を全文和訳しました。
以下が文大統領の演説の全文和訳です。
尊敬する国民の皆さん、独立有功者と遺族の皆さん、海外同胞の皆さん。
今日は光復73周年かつ大韓民国政府樹立70周年を迎える、非常に意義深く嬉しい日です。
独立烈士たちの犠牲と献身により、私たちは今日を迎えることができました。深く敬意を表します。独立有功者と遺族の皆さんにも尊敬の意を表します。
旧韓末(※朝鮮末期から大韓帝国までの時期)の義兵運動から始まった私たちの独立運動は、3.1運動を経て、国民主権を求める熾烈な抗戦になりました。大韓民国臨時政府を中心に、私たちの国を私たちの力で建設しようという、不屈の闘争を繰り広げました。
親日の歴史は、決して私たちの歴史の主流ではありませんでした。私たちの国民の独立闘争は、世界のどの国よりも熾烈でした。光復は決して外から与えられたものではありません。烈士たちが万死を冒して共に戦い、勝ち取った結果でした。すべての国民が平等に力を合わせて成し遂げた光復でした。
そして、光復のその日、私たちは皆が一つになり、喉が嗄れるほど万歳を呼びました。私たちは、その事実に強い誇りを持っても良いのではないでしょうか。
尊敬する国民の皆さん。
今日、光復節を記念するために私たちが集まったこの場所は、114年ぶりに国民の懐に戻り、初めて完全に私たちの地になったソウルの心臓部・龍山です。日本の植民地時代、龍山は日本の軍事基地であり、朝鮮を搾取し支配していた中心地でした。
光復を迎え、龍山から韓米同盟の歴史が始まりました。朝鮮戦争以降、龍山は、朝鮮半島の平和を牽引する基盤でした。先の6月、在韓米軍司令部の平沢移転により、韓米同盟はより強固たる新しい時代を迎えました。
今から龍山は、米国ニューヨークのセントラルパークのごとき生態自然公園に造成されるでしょう。2005年に宣言された国の公園造成計画がようやく今、本格的に推進されることになりました。大韓民国の首都・ソウルの中心部で肺の役割を果たす、巨大な生態自然公園を想像すると、胸がときめきます。痛みの歴史と平和への意志、美しい未来が溶け合ったここ龍山で今日、光復節の記念式典を持つこととなり、より一層、意義深く感じます。
尊敬する国民の皆さん。
龍山が長い間私たちの元に戻ってこなかったように、発掘していない、見つかっていない独立運動の歴史が私たちを待っています。
特に女性の独立運動は、より深くまで埋められてきました。
女性たちは、家父長制と社会的・経済的不平等により、二重三重の差別を受けながらも、不屈の意志を持って独立運動に飛び込みました。
平壌の平元ゴム工場の女性労働者であった姜周龍(カン・ジュリョン)は、1931年、日本の一方的な賃金削減に反対し、高さ12メートルの乙密台の屋根に上がって籠城し、「女性解放、労働解放」を叫びました。
当時、朝鮮の男性労働者の賃金は日本の労働者の半分にも及ばず、朝鮮の女性労働者は、その半分にも及びませんでした。死を覚悟した抵抗により、志士は出監後2ヶ月で息を引き取りましたが、2007年、建国勲章愛国章を受章しました。
1932年、済州島の旧左邑で日本の搾取に抵抗し、コ・チャドン、キム・ケソク、金玉蓮(キム・オクリョン)、夫徳良(プ・ドクリャン)、夫春花(プ・チュンファ)の5人の海女から始まった海女抗日運動が、済州各地で800人に拡大し、3ヶ月間で延べ1万7千人が238回にも及ぶ集会デモに参加しました。今、旧左には済州海女抗日運動記念塔が建てられています。
政府は、昨年の光復節から1年間、女性独立運動家202名を探し出し、光復の歴史に堂々とその名を掲げました。そのうち26名の方には、今年の光復節で叙勲と有功者賞を授けることになりました。残りの方々も引き続き表彰する予定です。
光復のためのあらゆる努力に対し、必ず正当な評価とこれにふさわしい礼遇が受けられるようにします。政府は、女性と男性、役割の如何を離れ、いかなる差別もせず、独立運動の歴史を発掘していくでしょう。埋もれた独立運動史と独立運動家の完全な発掘こそ、もう一つの光復の完成であると信じます。
尊敬する国民の皆さん。
大韓民国は、私たちの国民すべてが各自の立場で力を合わせ、共に作り上げた国です。
政府樹立70周年を迎える今日、大韓民国は世界的に誇らしい国になりました。第2次世界大戦後に植民地から解放された国々のうち、韓国ほど経済成長にも民主主義の発展にも成功した国はありません。
世界10位圏の経済大国にろうそく革命で民主主義を蘇らせ、全世界を驚嘆させた国、それが今日の大韓民国の姿です。
分断と悲惨な戦争、尖鋭なる南北対峙の状況、絶対貧困、軍部独裁などのあらゆる逆境を乗り越え、成し遂げた偉大な成果です。
まだ不十分な部分も多くありますが、「全世界で私たちほどダイナミックな発展を遂げた国は多くない」という事実だけは、誰にも否定できません。先代たちだけでなく、この時代を生きているすべての世代が共に成し遂げました。
私たちは、私たちのレベルと能力を自ら過小評価する傾向があります。しかし、外国に出てみれば誰もが感じるように、韓国は多くの国々がうらやむ成功した国であり、学びたいと思う国です。その事実に、私たち自身が誇りを持ってほしいと思います。そしてその誇りによって、私たちは新しい70年の発展を遂げていかなくてはなりません。
尊敬する国民の皆さん。
今私たちは、私たちの運命に自ら責任を持ち、朝鮮半島の平和と繁栄に向かっています。分断を克服するための道です。分断は、戦後も、国民の暮らしの中に戦争の恐怖を日常化しました。多くの若者の命を奪い、莫大な経済的コストと能力の消耗をもたらしました。京畿道と江原道の北部地域は開発が制限され、黄海にある5つの島の住民は、豊かな海を目の前にしながらも操業することができませんでした。
分断は、大韓民国を大陸から隔絶した島にしました。分断は、私たちの思考まで分断させました。多くのタブーが自由な思考を阻害しました。分断は、安保を掲げる軍部独裁の名分となり、国民を敵味方に分ける理念の葛藤、色分け論の政治、地域主義政治の口実となり、特権と不正腐敗の温床となりました。
私たちの生存と繁栄のため、必ず分断を克服しなければなりません。政治的統一までは遠いにしても、南北間の平和を定着させ、自由に行き来し、一つの経済共同体を作り上げること、それが私たちにとっての真の光復です。
私は、国民と一緒にその道を大胆に歩いています。徹頭徹尾国民の力のおかげです。
私が就任後に訪問した11カ国、17都市の人々は、ろうそく革命で民主主義と正義を蘇らせ、「国らしい国」を作り上げようとする私たちの国民に、深い敬意を払いました。それが、国際的な支持を得るための強力な力となりました。
一番最初にトランプ大統領と会い、韓米同盟を「偉大な同盟」に発展させることに合意しました。平和的な方法で北朝鮮の核問題を解決することに一致団結しました。
ドイツのメルケル首相をはじめG20の首脳たちも、私たちの政府の努力に全面的な支持を表明しました。アセアン諸国とも「共に豊かに暮らす平和共同体」を一緒に作っていくことにしました。
習近平主席とは戦略的パートナー関係をさらに発展させることにし、今、中国は、朝鮮半島の平和に大きな役割を担ってくれています。プーチン大統領とは、南北ロ3角協力を共に準備することにしました。安倍首相とも日韓関係を未来志向的に発展させ、朝鮮半島と北東アジアの平和・繁栄のために緊密に協力することにしました。その協力は結局、日朝関係を正常化に導いていくことです。「板門店宣言」は、そのような国際的な支持の中、南北共同の努力で行われたものです。
南と北は、私たちが暮らしている地・空・海のどこにおいても、一切の敵対行為を停止することにしました。今、南北は、軍事当局間の常時連絡チャンネルを復元し、一日単位で連絡を取り合っています。
「紛争の海」であった黄海は、軍事的脅威の消えた「平和の海」に変わり、共同繁栄の海へと進んでいます。板門店の共同警備区域における非武装化、非武装地帯における試験的監視哨の撤退も、原則的に合意に至りました。南北共同の遺骨発掘もなされていくでしょう。
離散家族の再会も再開されました。今後、相互の代表部へと発展することになる南北共同連絡事務所も、史上初めて設置されることになりました。大変意義深いことです。数日後には、南北が24時間365日通じ合う時代が開かれるでしょう。
米朝首脳会談もまた、共に平和と繁栄に向かおうという、北と米、両国の意志によって実現されました。朝鮮半島の平和と繁栄は、両首脳が世界と交わした約束です。北朝鮮の完全な非核化の履行と、これに相応する米国の包括的措置が迅速に進められることを願います。
尊敬する国民の皆さん。
二日前、南北高位級会談を通じ、「板門店会談」で約束した秋の首脳会談の開催に合意しました。
来月、私は、私たちの国民の気持ちを集め、平壌を訪問することになるでしょう。「板門店宣言」の履行を首脳同士で確認し、朝鮮半島の完全な非核化と併せ、終戦宣言や平和協定へと進んで行くための大胆な一歩を踏み出すでしょう。
南北と米朝間の根深い不信が晴れるとき、お互いの合意が誠実に履行されるようになります。南北間により深い信頼関係を構築します。併せて、米朝間の非核化対話を促進するための努力も主導的に続けていきます。
私は、朝鮮半島問題は、私たちが主人であるという認識が非常に重要だと考えています。南北関係の発展は、米朝関係進展の付随的な効果ではありません。むしろ、南北関係の発展こそ、朝鮮半島の非核化を促進させる動力です。過去、南北関係が良かった時期には、北朝鮮の核の脅威が減少し、非核化の合意にまで至ることのできた歴史的経験が、その事実を裏付けています。
完全な非核化によって朝鮮半島に平和が定着してこそ、本格的な経済協力を行うことができます。平和経済、経済共同体の夢を実現させるとき、私たちの経済は新たに飛躍することができます。私たち民族のすべてが共に豊かに暮らせる日も早まることでしょう。
国策機関の研究によると、今後30年間、南北の経済協力によってもたらされる経済的効果は、少なくとも170兆ウォンに達すると予想されています。
開城工業団地と金剛山観光の再開、鉄道の連結、一部の地下資源の開発事業を合わせた効果です。南北間の全面的な経済協力が行われるとき、その効果は、比較にならないほど大きくなるでしょう。
すでに、金剛山観光で8千9百人の雇用を創出し江原道高城の経済を飛躍させた経験があります。開城工業団地は、協力会社を含め10万人にのぼる雇用が報告されました。坡州一帯の桑田碧海のごとき目覚ましい発展も、南北が平和的であった時に成し遂げられました。平和が経済です。
軍事的緊張が緩和され、平和が定着すれば、京畿道と江原道の国境地域に統一経済特区を設置します。多くの雇用と併せ、地域と中小企業が画期的に発展する機会となるでしょう。
「板門店宣言」で合意した鉄道・道路の連結は、今年中に着工式を行うことが目標です。鉄道と道路の連結は、朝鮮半島における共同繁栄の始まりです。
1951年、戦争の防止・平和構築・経済再建という目標の下、欧州6カ国が「欧州石炭鉄鋼共同体」を創設しました。この共同体は、後の欧州連合の母体となりました。
京義線と京元線の出発地であった龍山で、私は今日、北東アジア6カ国と米国が手を携える「東アジア鉄道共同体」を提案します。この共同体は、私たちの経済の地平を北方大陸にまで広げ、北東アジアにおける共生繁栄の大動脈となり、東アジアにおけるエネルギー共同体と経済共同体へとつながるでしょう。そしてこれは、北東アジアにおける多国間平和安保体制へと進む出発点となるでしょう。
尊敬する国民の皆さん、独立有功者と遺族の皆さん、海外同胞の皆さん。
植民地から解放、戦争を勝ち抜き、民主化と経済発展を成し遂げるまで、私たちの国民は一瞬一瞬に最善を尽くしてきました。国民が奇跡を作り、大韓民国は公正で正義の叶う国へと進んでいます。
独立の先烈たちと国民は、必ず光復が来るという希望の中で、互いに励まし合いながら苦難を乗り越えました。
朝鮮半島の非核化と経済再生という、平坦ではないプロセスが私たちを待ち構えていますが、今までのように互いに固く手を握り合うなら、恐れることはありません。
朝鮮半島の平和と繁栄は、私たちの取り組み方にかかっています。楽観の力を私は信じます。光復を作り上げた勇気と意志が、私たちに分断を超え、平和と繁栄という真の光復をもたらすことでしょう。
ありがとうございました。