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「先輩、先物投資が何か知ってますか?」「知らないよ。」「あれは誰にでもできるものじゃないんです。借名で先物投資までしたのならプロと見るべきですよ。」「君はなぜそんなによく知っているんだ?」「私も知りません。他の人たちの言うことを聞いただけですよ。」「うん、君も僕も、人文学部を出て勉強を続けながらそんなことを知っていたら普通じゃないだろう。ところで僕と情景芯(チョン・ギョンシム)は人文学部の同期なんだ。」
一昨日会った後輩と交わした会話の内容です。彼と私は大体考えが似ていましたが、今回違った点は、彼は検察の主張を信じていたのに対し、私は信じていなかったことです。
私が入学したときは系列別の募集だったので、1年生はすべて「人文学部生」でした。同期の女子学生は50人くらいしかいませんでしたが、チョン・ギョンシムという名前は覚えていません。ニュースに出てきた写真を見て、どこかで見たことがあると感じただけです。学部や大学院時代に同じ建物や隣の建物で講義を聞いていたので、少なくとも数十回は出会っていたでしょう。先日、他の同期にその名前を覚えているかと聞いたところ、その友人の答えは「目立たない女学生だったようだ。私も覚えていない。」というものでした。
私の人文学部の同期たちが今、どんなことを思い、どんなふうに生きているのかはわかりません。しかし学界でキャリアを積んだ女子の同期たちが生きてきた軌跡と現在の生活を大体推測することはできます。ソウルに家を持ち、交通も不便な慶尚北道の栄州に職場を得た彼女が、家事と職業を並行しながら、子供たちの入試を世話するために俗に言う「スカートをひるがえしていた」ことまでは納得できます。しかしそれさえも、子供たちの世話にオールインする本当の「江南ママ」に比べればはるかに足りないことでしょう。ところが、それに加えて私募ファンドを実質的に「支配」しながら投資の方向をいちいち指示し、親戚の名義で資金を分散隠匿し、他人の口座を借りて先物投資までするというのは「人ができること」の範囲をはるかに超えています。たとえ「人ができること」であったとしても、私は今までにそんなことに長けている人文学者を見たことがありません。
しかも、彼女は片方の目が見えないうえ、頭にも大きな怪我を負った状態です。先日、「記者をにらみつける情景芯のレーザー視線」という記事のタイトルを見ましたが、その記者が横にいたら一発殴ってやりたいくらいでした。片目が義眼の人の視線は、両目が正常な人には「異常」に見えるのが正常です。
法学者出身の民情首席の夫を持ち、違法であることをはっきり知っているのに、半病人の体で、ソウルと栄州を行き来して家事と職場生活を並行しながら、大金が稼げるわけでもないことを無分別に仕出かしたなど、私の常識と経験では到底納得できません。もちろん私の推測が間違っているかもしれません。しかしそれよりは、改革されると将来大金を稼げなくなると心配した検察が、100人近い検事と捜査官を動員し、3ヶ月あまりにわたる無分別な捜査により、なんとかして犯罪に仕立ててチョ・グク一家を散り散りばらばらにし、全能の権力を維持しようとしていると見るほうがはるかに合理的でしょう。
今検察は、チョン・ギョンシムさんを「人の能力の範囲をはるかに超える怪物」として描いています。マスコミもこうしたイメージを拡大再生産しています。人を怪物として描くのが魔女狩りの前提であり、かつ不可欠な要素です。人の能力と限界を認識できなければ、魔女狩りに動員され奇声でも上げる「愚かな殺人鬼」になるのは容易です。