8’12”より本番開始。文在寅大統領の演説は48’30”より。
全文和訳はこちらです↓↓
尊敬する国民の皆さん、
参戦有功者と遺族の皆さん。
私たちは今日、朝鮮戦争70周年にあたり、勇士147名の遺骨をお迎えしました。
ソウル空港は、英雄の帰還を歓迎する最も厳粛な場となりました。
勇士たちは今、ようやく大韓民国国軍の階級章を取り戻し、70年ぶりに私たちの元に帰ってきました。
悲しくも誇らしいことです。
遅くなりましたが、祖国は一瞬もあなた方を忘れていませんでした。
礼遇を尽くして迎えることができ、光栄です。
今日、私たちがお迎えした英雄の中には、すでに身元が明らかになった七名の方がおられます。
すべて咸鏡南道の長津湖戦闘で散華された方々です。
故キム・ドンソン一等兵、故キム・ジョンヨン一等兵、故パク・ジンシル一等兵、故チョン・ジェスル一等兵、故チェ・ジェイク一等兵、故ハ・ジンホ一等兵、故オ・デヨウン二等中士の名を歴史に刻み入れます。
家族の懐で安らかに休まれるよう願います。
参戦勇士一人一人の献身が、私たちの自由と平和、繁栄の基盤になりました。
懐かしさと悲しみを誇りによって耐え忍んできた遺族の方々に深い敬意と慰めの言葉を捧げ、戦友を心を焦がして待ちわびてきた生存参戦勇士の方々に敬意を表します。
政府は、国民とともに護国の英雄を永遠に記憶するでしょう。
まだ私たちの元に帰れずにいる12万3千の戦死者が家族の懐に帰ってくるその日まで、あきらめることなく探し出すでしょう。
韓国政府はこれまで、5千人余りの参戦勇士たちにまだ伝えられずにいた勲章を授与し、生活調整手当をはじめ、武功名誉手当と参戦名誉手当、戦没勇士子女手当を大幅に引き上げました。
参戦勇士と遺族の礼遇に引き続き全力を尽くします。
今日の英霊檀には、私たちが見つけて米国へお送りする米軍戦死者6名の遺骨も含まれています。
韓国国民は、米国をはじめとする22カ国の国連参戦勇士たちの犠牲を決して忘れないでしょう。
ワシントンの “追悼の壁” を2022年までに完成し、“偉大な同盟” が参戦勇士たちの崇高な犠牲の上に根を下ろしているという事実を永遠に称えます。
私が海外歴訪中に出会った国連参戦勇士たちは、一様に韓国を第2の故郷と考え、私たちの発展を自分のことのように喜び、誇りにしていました。
アメリカ、フランス、ニュージーランド、ノルウェー、スウェーデンの参戦勇士の方々に国民を代表して感謝と尊敬の気持ちを伝え、タイの参戦勇士の方々の胸には「平和の使徒メダル」を掛けました。
報勲には国境がありません。
国連参戦国と共同で行う様々な報勲事業を通じ、勇士たちの崇高な犠牲を記憶し、称えます。
朝鮮戦争70周年を迎え、意義深いビデオメッセージを送ってくださった国連参戦国の首脳と、今日の行事に参席してくださった各国大使の皆様にも深く感謝いたします。
国民の皆さん。
朝鮮戦争は今日の私たちを作った戦争です。
戦争がもたらした悲劇も、戦争を勝ち抜いた意志も、戦争を乗り越えて成し遂げた経済成長の誇りや戦争が残した理念的な傷もすべて、私たちの生と心の中に余すところなく生きています。
70年が流れましたが、そのまま私たちの姿になりました。
私たちは、戦争の惨禍に一緒に立ち向かって乗り越え、真の大韓民国国民として生まれ変わりました。
国難の前に団結し、自由民主主義の価値を守る力を育てました。
“最も平凡な人” を “最も偉大な愛国者” にしたのも、朝鮮戦争です。
農作業を中断し、学期を終えられず、家族を家に残して旅立った私たちの隣人が、洛東江戦線を守り、ソウルを取り戻した英雄になりました。
国の存在価値を体感し、愛国心が高揚され、平和の大切さを自覚しました。
どんな難関も克服できる自信の源泉も、朝鮮戦争でした。
参戦勇士たちは、戦争を勝ち抜いた誇りと軍で身につけた技術により、戦後再建の主軸となりました。
戦場で倒れた戦友の分まで大韓民国を愛し、隣人と家族の誇りとなりました。
しかし、まだ私たちは朝鮮戦争を真に記念することができません。
まだ戦争が終わっていないからです。
今この瞬間にも戦争の脅威は続き、私たちは目に見える脅威だけでなく、私たちの内部の見えない反目とも戦争しています。
私たちはみな、参戦勇士の娘であり、避難民の息子です。
戦争は国土のあちこちに傷痕を残し、未だに一個人の生と一家族の歴史にそのまま生きています。
それは透徹した反共精神として、私たちもしっかり生きてみようという勤勉さとして、国民主権と民主主義の精神として、多様に表出されました。
しかしすべての人々に共通する一つの心は、この地に二度と戦争があってはならないということです。
自分が生きて行く時代と一緒に自らのすべてを捧げた人々は、お互いを尊重し、手を取り合うことができます。
私たちは、朝鮮戦争を世代と理念を統合するすべての歴史的経験にするために、この長い戦争を終わらせなければなりません。
戦争の残酷さを忘れないことが “終戦” への第一歩です。
70年前にこの地の自由と平和のために命を捧げた国連参戦勇士たちと、平和を愛する世界のすべての人々の念願でもあります。
1950年6月25日、国連安全保障理事会は戦争勃発10時間後に決議文を採択し、“北朝鮮軍の侵略停止と38度線以北への撤退” を要求し、朝鮮半島の平和と安全の回復のために史上初の “国連集団安保” を発動しました。
世界がともに高貴な犠牲を払いました。
いま私たちに必要なのは、今日の自由と平和、繁栄の根となった数多くの犠牲に対する記憶と、私たち自身に対する誇りです。
独立先烈の精神が護国英霊の精神として受け継がれ、再び民主主義を守り抜く巨大な精神になったように、朝鮮戦争で実践した愛国と胸に込められた自由民主主義を、平和と繁栄の動力として蘇らせなければなりません。
それが真に戦争を記念する道です。
国民の皆さん。
朝鮮戦争で韓国軍13万8千人が戦死しました。
45万人が負傷し、2万5千人が行方不明になりました。
100万人に達するの民間人が死亡・虐殺・負傷により犠牲になりました。
10万人の子供たちが孤児になり、320万人が故郷を離れ、1000万人の国民が離散の痛みを体験しなければなりませんでした。
戦争から自由な人はただの一人もいませんでした。
民主主義が後退し、経済的にも残酷な被害を被りました。
産業施設の80%が破壊され、当時の2年分の国民所得にあたる財産が灰になりました。
社会経済の基盤と国民生活の基盤が崩壊しました。
戦争が終わった後も、南と北は長い年月にわたって冷戦の最前線で対抗し、国力を消耗しなければなりませんでした。
私たちの民族が戦争の痛みを嘗めている間、むしろ戦争特需を享受した国もありました。
しかし私たちにとって戦後経済の再建は、植民地支配から抜け出すことと同じくらい険しい道でした。
最初は、援助に依存して復旧と再建に力を入れ、軽工業、重化学工業、ICT産業を順番に育成し、先進国に追いつくまでに丸70年を要しました。
朝鮮戦争を克服した世代によって、私たちは “漢江の奇跡” を成し遂げました。
戦争が終わった1953年の1人当たり国民所得が67ドルに過ぎなかった大韓民国が、廃墟から立ち上がり、国民所得3万ドルを超える世界10位圏の経済強国に発展しました。
援助を受けていた国から援助を与える国となり、追撃型経済から先導型経済へと変貌しています。
コロナ克服の過程で、世界が注目する国になりました。
今、国民が守り抜いた大韓民国は、国民を守れるほど強くなりました。
平和を作り出せるほど強い力と精神を持ちました。
韓国軍はいかなる脅威をも阻止する力があります。
徹底した対備態勢を備えており、私たちはたった指の幅ほどの領土、領海、領空であっても二度と侵奪されないでしょう。
私たちは平和を望みます。
しかし誰であれ、韓国国民の安全と生命を脅かすなら、断固として対応するでしょう。
私たちは全方位的に、いかなる挑発をも容認しない強い国防力を保有しています。
堅固な韓米同盟の上で、戦時作戦統制権の転換もきっちり準備しています。
私たちは私たち自身の力に基づいて必ず平和を守り、作り上げていくでしょう。
尊敬する国民の皆さん、
参戦有功者と遺族の皆さん。
私たちは戦争に反対します。
私たちのGDPは北朝鮮の50倍を超え、貿易額は北朝鮮の400倍を超えています。
南北間の体制競争は、もうずいぶん前に終わりました。
私たちの体制を北朝鮮に強制するつもりもありません。
私たちは平和を追求し、ともに豊かに生きようとしています。
私たちは絶えず、平和を通じて南北共存の道を見つけ出すでしょう。
統一を口にする前に、まずは仲の良い隣人になることを望みます。
私たちは戦争を行いながらも初等・中等の “避難学校” を建て、各地域に “戦時連合大学” を運営しました。
私たちは未来を準備し、平和を守る力を養い、誰も見下げることのできない国を作りました。
今、私たちの息子と娘は “ポストコロナ” 時代を誰よりも早く準備し、世界をリードする大韓民国の主人公になりました。
戦争を経験した親の世代と新たな70年を切り拓く未来世代のどちらにも、平和と繁栄の朝鮮半島は必ず成し遂げるべき責務です。
8,000万同胞すべての宿願です。
世界史で最も悲しい戦争を終わらせるための努力に、北朝鮮も大胆に乗り出してくれることを望みます。
南と北、すべての同胞が嘗めた戦争の悲劇が共同の記憶として後世に伝わり、平和を切り拓く力となるよう願います。
統一を語ろうとするならまず平和を成し遂げなければならず、平和が長く続いてこそはじめて統一の門を見ることができるでしょう。
南北の和解と平和が全世界に希望として伝えられるとき、護国英霊たちの崇高な犠牲に真に報いることができるだろうことを信じます。
ありがとうございました。
資料出典:青瓦台